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施設の子どもの声なき声を聞くものは誰?

施設の子どもの声なき声を聞くものは誰?

森の奥で木の実が落ちた。
だけど、誰も木の実が落ちる音を聞かなかった。
だから、木の実は落ちなかった。

養護施設の中で、子どもの悲鳴が上がった。
だけど、誰も子どもの悲鳴を聞かなかった。
だから、子どもの悲鳴は上がらなかった。

養護施設の中で、子どもたちは、いつも悲鳴を上げていた。
だけど、聞くもののない悲鳴は、虚空に消えていく。
叫び疲れた子どもは、いつしか叫ぶことをやめた。

「大人は悪魔だ」と叫ぶ施設の子どもがいた。

施設の大人は、子どもを威圧した。
施設の大人は、子どもを殴った。
施設の大人は、子どもを包丁やはさみで切りつけた。
施設の大人は、子どもを脅かした。
施設の大人は、子どもをののしった。
施設の大人は、子どもの食事を抜いた。
施設の大人は、子どもをはずかしめた。
施設の大人は、子どもを強姦した。
施設の大人は、子どもを学校に行かせなかった、
施設の大人は、子どもを強制的に働かせた。
施設の大人は、子どもを眠らせなかった。
施設の大人は、子ども同士で殴り合わせた。
施設の大人は、子どもを利用し続けた。

社会の大人たちは、施設の子どもたちに、
「大人は悪魔ではない」と教えられるのだろうか…

子どもたちは、施設から逃げ出した。
捕まっても、捕まっても、逃げ出した。
逃げても、逃げても、行く当てなんか無い。
逃げても、逃げても、帰れる家なんてない。
逃げても、逃げても、出迎えてくれる親なんていない。

だけど、生きるために逃げ出した。
人として、尊厳を守るためではなく、
ただ、生きるために逃げ出した。
ただ、死なないために逃げ出した。

逃げ出した子どもたちは、社会の大人に訴えた。
児童相談所の大人に訴えた。
県児童家庭課の大人に訴えた。
地域の大人に訴えた。

恩寵園だけではない、たくさんの養護施設で、子どもたちは逃げ出した。

施設の大人は、逃げ出した子どもを「虚言癖のある子ども」といった。
施設の大人は、施設の子を、「あること無いことをいう嘘つきだ」と言った。
施設の大人は、「あの子は大人の関心をひくために、嘘を言っているんです」といった。

施設を逃げ出した子どもの訴えを信じる大人はいなかった。

児童相談所の大人は「私たちにはどうしようもない」といった。
県児童家庭課の大人は「私たちには権限がない」といった。
地域の大人は、「あんな立派な園長がそんなことをするはずがない」といった。

恩寵園の子どもたちが逃げ出してから10年。

逃げ出した子どもたちの声は、誰か大人に届いたのだろうか。
子どもたちの声なき声を聞く大人は、どこかにいたのだろうか。

施設の子どもの「大人は悪魔だ」という言葉を、「違う」と言える大人はいたのだろうか。

養護施設の子どもの声なき声を聞く大人は、どこかにいるのだろうか。

2006/10/28 恩寵園シンポによせて by Edward

コメント一覧

by ポンタ Eメール URL

エドワードさん
以前、「あっちゃん」の名でメールしたり掲示板に書き込んだりしたものです。
いまだ国外にて日本語を教えるという仕事を続けています。本当は、自分がどういう人間なのか(どういう育てられ方をしたのか)ということに、どこかで向き合わないといけないと思いつつ、逃げているのかもしれません。

時々、覗かせてもらえればと思いますので、よろしくお願いします。

2007年10月05日(金)06時45分 編集・削除

by Edward

ポンタさん、お久しぶりです。

 自分の心や過去に向き合うには、それなりの心の体力をつけておく必要があります。
 いま向き合えないということは、まだそのときではないのだと思います。
 どうか、無理をせずに、ゆっくりとお過ごし下さい。

2007年10月12日(金)01時35分 編集・削除

by Cheese

Edwordさん、こんばんは。
「社会的養護専門委員会への意見書」への意見公募の際、場を混乱させてしまったCheeseです。

ご迷惑をかけたこと、すぐにお詫びもできず申し訳ございませんでした。
今、おちついて自分の過去と改めて向き合い、己に巣食う獣のような存在に対峙しながらも、ほんの少し、Edwordさんのおっしゃる趣旨が、ようやく冷静に見えつつあります。
自分の都合ばかりですが、今を逃してはお礼も出来ないような気がして、こうしてPCにむかっています。

Edwordさんのコメントをあらためて拝読し、今、その暖かさに胸をつかれるような気持ちでいます。

私は過去に、社会的養護の当事者であった経験がありながら、社会福祉のことについて、恐ろしいほど無知です。むしろ、社会保障に刃を向けがちな立場にいるかもしれません。

施設で子どもが育つことを是としない論文は山ほどあるのに、概ね「今の日本の状況では施設のインフラに頼らざるを得ず」という結論に至っています。

私は「馬鹿の壁」という言葉はあまり好きではありませんが、インフラ優先主義の中では、厳然とその壁が存在するような気がしてなりません。確実なブレイクスルーが存在するのに、それを認めない構造について、軽い恐怖を感じます。そのブレイクスルーを超えられなかった過去の自分の精神構造が、もし、他者にとってイコールで結ばれるものだとしたら・・・。

何卒、ご自愛くださいませ。
壁を越えようとするものは、壁を認めないものに、到底理知的とはいえぬ攻撃を受けるものです。
何卒、何卒。
Cheese拝

2007年11月03日(土)01時00分 編集・削除

by ポンタ URL

ご無沙汰しております。
最近「安全基地」という言葉を聞きました。自分は失敗しても守ってくれる人がいる、そういう安心感のことだそうです。そして、この基地がない子供は新しいことにチャレンジできないし、大人になってから深刻な問題を引き起こすということのようです。
最近、ようやく私が(私だけではありませんが)育ってきた環境に欠けていたものが何であるのかが分かってきました。それを認めるのは、自分が欠陥人間だと認めるようでいやだったのですが、子供を持った施設出身者が闘っていることと同じですよね。
どんなことがあっても自分なりの安全基地を作ること、そして自分より弱いもののそれを壊さないことだけは忘れないように、そう思っています。
エドワードさんもお体には十分お気をつけください。

2008年08月25日(月)22時02分 編集・削除